今や名古屋を代表する観光資源となっている名古屋めし。
2005 年の愛知万博を機にブームが本格化したといわれます。
それに先駆けて代表的ブランドを集めた“名古屋めしストリート”として人気を博してきたのがエスカでした。
当コラムでは、名古屋めしに詳しいフリーライター・大竹敏之が、エスカに出店する人気店の店主や担当者と対談し、出店のいきさつやブレイクの経緯などを語ってもらいます。
第2回 山本屋本店
▼山本屋本店の田中正己さん。山本屋本店エスカ店にて

「こんな固いうどんが食えるか!」とのお叱りもありました(苦笑)
田中正己さん
山本屋本店取締役。1954 年、⾧野県生まれ。1983 年、山本屋本店入社。エスカ店に配属され、麺打ちから接客までを担当。約3 年間のエスカ店勤務の後、新店のオープニングスタッフを歴任。製造部門で要職を務め、現在は山本屋本店顧問。
▼「味噌煮込うどんはお店でも食べるし、お土産を買って家でも食べています」

店内で麺を打ち、抱えて運んでいた(!)
――田中さんがエスカ店で勤務されていたのはいつ頃ですか?
田中さん「昭和58 年に入社して最初に配属されたのがエスカ店でした。エスカ地下街が開業すると同時にこの店もオープンしていますから、10 年ちょっとたった頃になります。当時は、男性社員は全員まず麺打ちを覚えるんです。どの店にも店内に麺打ち場があり、ここでも麺を打っていました」
――えっ!エスカ店の店内で打っていたのですか!?
田中さん「そうです。通路に面してガラス張りの麺打ち場があって、お子さんとか興味深そうにのぞいてくれていましたよ。ただし、ここは“こね”の作業をするだけのスペースがなかったもんですから、当時一番近くにあった笹島店で生地をこねて、こちらまで運んでいました。それを店内で延ばして切る、つまり製麺作業はエスカ店の中でやっていたんです」
――現在は中村区の工場で一括して手打ちの麺打ち作業をされていて、私も見学させてもらったことがありますが、まず巨大なうどん玉をつくるのですよね
田中さん「ええ。とにかくたくさんお客さんが来てくださるので、一度に大量に打たないと間に合わないんです。25kg 分の小麦粉にほぼ同じ重量の水を加えて一度に70 人前の生地をつくります。手打ちでこんなに大きな玉をつくるところは他にないと思います。エスカ店では一日1000 食は出ていたので、朝と昼にその大きな生地を3~4 回ずつ練っていました。
その生地を30kg ほどに分けて、台車に積んで笹島からエスカの入口まで運んでは、階段では背負って下ろすんです。朝7 時頃に笹島店に行って生地をこねて、エスカ店に運んだら製麺をして、さらにホールで接客をし、午後はまた笹島店で生地をこねる。笹島とエスカを何度も往復し、すごく体力がつきましたね(笑)。これだけ用意しても夜には足りなくなることもあり、あと10~30 食という時には店内の瓶 (かめ)を使って急いで生地をこねて、何とか間に合わせていました」
――打ち立ての生麺を使うのはずっと変わらないのですね
田中さん「 そうです。おまけに味噌煮込みうどんの生地は固いですから、延ばすのにも大変な力がいるんです。手首は痛くなるし、指の関節には全部タコができる。忙しいし体力的にも大変だし、社員はみんなそうやって精神的にも肉体的にも鍛えられました」
▼1971 年の竣工当時の店頭の様子。通路に面して麺打ち場があった。1989 年に中村区に製麺・食品工場を設立した際に店内の麺打ち場をなくし、その分客席にゆとりをもたせた。その設計も田中さんが担当したそう

グループ中エスカ店が売上トップに!
――当時からたくさんのお客さんが来て下さっていたのですね
田中さん「私の入社当時は中日ビル店(当時)が売上トップで、店⾧はいつも『中日を抜くぞ!』と従業員にハッパをかけていました。私がいた間もエスカ店の売り上げは年々上がっていて、3 年目くらいでトップになりました。当時はお土産もここで売っていましたから(現在は近くに物販専門店がある)、特に年末年始は商品が納品されたら冷蔵庫にしまう間もなく飛ぶように売れて、レジはお食事分と両方対応しないといけないので大変でした」
――お客さんの層や利用の仕方に特徴は?
田中さん「 これは今も同じですが、旅行や出張で名古屋に来られる他県の方が多いですね。新幹線の改札を出てエスカレーターを降りたらすぐですから、わざわざ途中下車していらっしゃるお客さんもみえました( 「みえました」は名古屋弁で「いらっしゃいました」の意)。急いでいる方も多いので、できるだけ早くご提供できることを心がけていました。その頃のメニューは通常の味噌煮込と玉子入り、かしわ入り、親子の4 種類とそれぞれの一半(1・5 人前)の4 種類にしぼって、あとはごはん、漬物、板わさくらい。注文を受けたらすぐに厨房に向かって大きな声で伝えてすぐ調理に取りかかる。お待たせしないよう工夫してやっていました」
名古屋名物としての知名度は○○○のが上だった(?)
――まだ「名古屋めし」という言葉はありませんでしたが、味噌煮込みうどん=名古屋名物と広く知られていた?
田中さん「 この頃は名古屋名物といえばきしめんの方が有名で、今ほど味噌煮込みうどんが知られてはいなかったんじゃないでしょうか。今が100 だとしたら(知名度は)50 くらいでしょうか。『 こんな固いうどんが食えるか!』『生煮えじゃないか!』と叱られることもありましたから(苦笑)」
――「名古屋めしあるある」のひとつですね(笑)
田中さん「 そんな時私は『とにかく 3回食べてみてください。ヤミツキになりますから』とご説明していました。というのも、私自身がそうだったんです。20 代後半の頃に初めて食べた時にはそれはびっくりしました。それでも3 度食べたら本当にクセになった。全国にいろんな麺料理がありますが、名古屋の味噌煮込うどんは他にはないですからね。この独特の食感の麺と味噌のつゆとのマッチング。そこに独自の魅力があるから、一度食べたら忘れられなくなって、名古屋に来たらまた食べたくなる。そうやってお客さんに支持されてきたのだと思います」
――今では味噌煮込みうどんも山本屋本店も、誰もが知る名物、名店となっています
田中さん「 会社も、エスカ店では他県の方に知っていただくことを重要視していました。そのため店⾧には常に経験豊富なベテラン社員が配属されていました。かつては、名古屋駅構内に今ほどいろんな飲食店はなかったですから、他県から名古屋へ来た人に気軽に食事をしてもらうという点でも、エスカの役割は大きかった。当社についていえば、今ではもうほとんどのお客さんは、うちに食べに来てくださる時点で、太くて固い麺のことも分かって下さっている。山本屋本店の味噌煮込うどんを全国の方に知っていただくために、エスカ店が非常に大きな役割を果たしたんじゃないでしょうか」
店舗情報

山本屋本店エスカ店
エスカ開業と同時に1971 年開店。名古屋市内を中心に13 店舗を構える山本屋本店の中でも屈指の売上を誇る。かつては店頭で販売していたお土産品を専門に扱う売店もエスカ内の差し向かいにある。
TEL. 052・452・1889
10:00~22:00(L.O21:30)
【聞き手】大竹敏之
名古屋を専門分野とするフリーライター。エスカの名古屋めし推しの取り組みについては著書『間違いだらけの名古屋めし』(ベストセラーズ)にも詳しい。著書はこの他、『名古屋金シャチさんぽ』(風媒社)『名古屋の酒場』『名古屋の喫茶店完全版』(リベラル社)など。
Yahoo!ニュースに「大竹敏之のでら名古屋通信」を配信中。
https://news.yahoo.co.jp/expert/authors/otaketoshiyuki










